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リハに参加してきました。 |
2008,2,29 |
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今日はフラメンコのレッスンがお休みだったかわりに、3月9日の日曜日に周南市市民館で開催されるやんちゃ祭りのリハーサルに参加してきました。会場についてすぐ感じたのは「こりゃまたヤングだなー!」ということでした。やんちゃ祭りの「やんちゃ」は「ヤングチャレンジ」のことらしく、私が到着したのがちょうどヒップホップのダンスチームのリハーサル中だったというのもそう感じた理由かもしれません。軽快なヒップホップ、クールなBMXに混じってのフラメンコ。若干異質だけどみんなで楽しく高飛車にセビジャーナスを踊りまーす。去年の秋に買った、まだ1度も着てない衣装がやっと着れます。教室内のメンバーに2回ほど貸し出しはしてたんですが、もしかして持ち主本人はこのまま一生着る機会がないんじゃないだろうかと金曜メンバーの間では軽く笑われていた衣装です。ついに着ます。 夏のお祭りで着た黒いシンプルな衣装はノースリーブの上にシージョというストールのようなものを羽織っていたのですが、知り合いの男性から「へぇ、おっきーの二の腕ってそんなにすごかったんだね。」という反応をもらってしまったので、今回は自粛の意味も込めてこの五部袖の衣装で出演させていただきます。 あーあー、ある日突然やせてくれないかなー。なー・・・。
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素敵メール集 |
2008,2,26 |
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久々にここの日記を読みに寄ってくれたらしい高校時代からの友人が「プレイボーイくらい立ち読みしろよな〜。」なんていう素敵メールをくれました。彼はだいたいいつも小粋でレトロな感じのメールをくれます。見た目はお笑いの土田晃之さんを果てしなくデカくしたような感じですが、高校時代から私は「彼はきっと大人になったら際限なくモテるタイプだろうなぁ。」と思っていました。が、実際に桐島かれん似の超キレイな彼女とついに結婚してしまうと、誇らしいやら興奮するやら寂しいやら。こんな素敵メールをくれる友人が、今夜も桐島かれんの手料理に感動しているのかと思うとなーんかふてくされぎみに急きょ飲みにいきたくなります。誰かー。つきあってー。できれば高校時代の友人をリクエストしたいところ。なぜならこの土田くん(仮名)を話のスタートにして飲みたいから。この、嫉妬でもなく、ブロークンハートでもなく、青春を肴にカーッとと一杯飲めそうな感じ、伝わるでしょうか。 とはいえ、尊敬できる友人がいるってなんと楽しいことだろうと思いました。
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このご時世に売り切れるアルバム |
2008,2,25 |
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今年に入って最初に購入しようとしているCDが「嵐」とは、すっかり32歳らしくなったものです。嵐のニューアルバムを求めてCDショップへ。しかし、なかなか自力でみつけられないのです。わたし、うっかりお店の人に「あのー、嵐は・・・どちらでしょう?」なんて聞いてしまいました。そしたら、売り切れですって!まぁ!このご時世に!!もちろん各店舗の入荷数にもよるでしょうけども、嵐って人気者なのね・・・。ちょっといいなと思っていた人に避けられた気がしたときのようなさえない顔をしてトボトボと本屋さんへ移動。でもそんな私に本屋さんは優しかった。住宅本コーナーのあたりで「私にはこの人がいるじゃない!」と調子よく気持ちを切り替えることに成功したのです。自分を意欲的にするジャンルはいくつかあったほうがいいのでしょうね。私の場合はたぶんそれが「住」というジャンルなのだと思います。ちょっとお高かったけど本の購入にはめっぽう甘い私。「モダンな和」と「伝統的な和」の住宅本を2冊購入。もうこれだけで気力が戻ってきました。 もうひとつ、今日目にとまったのは雑誌「PLAYBOY」。表紙の特集の文字が「あの人の書斎が見たい!」みたいな感じだったんですよね。当然手にとってめくりました。本棚に囲まれる人々・・・。素敵な特集だと思いました。が、PLAYBOYですからね、書斎ばっかりでまるごと一冊は編集されていませんよ。いくら32歳でもPLAYBOYの立ち読みにはやはり抵抗が!有名人の書斎風景はうろおぼえのまま泣く泣く棚に戻しました。強くなりたいです。
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ド緊張の1日でした。 |
2008,2,18 |
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手術当日。誰のことが心配かって、母親でした。母は精一杯しっかりしている風に振舞っていたつもりでしょうが私たちにはその緊張の度合いがバレバレで、父までが母を心配していました。母のこの日の忘れ物はメガネ。メガネが必要な人がメガネを忘れるってどうなの!?といつもなら厳しく注意するところですが、隣に母をのっけて運転するのが精一杯でした。対象物に近づいたくらいでは見えないだろうと思うのですが、話をしてくれる看護師さんたちにやたら接近するのが申し訳ないというかなんというか・・・。 廊下から見えた手術室に意外と奥行きがあったためなのかどうか、年間何千か何万人という人たちがこんな緊張をするのか、と思うとめまいがしました。ただ待っているしかできない私がそんな状態だというのに、手術日の朝、担当医の先生方から返ってくる微笑まじりのおはようございますを見て、「なんという精神力・・・」と思いました。たぶん人生観が変わった瞬間でした。9時ぴったりに手術室に歩いて入っていった父を母と2人で見送り、案内された家族控え室という部屋でひたすら仕事をして過ごしました。仕事している時間はきっとそっちに頭を使えるだろうと思って資料を持参していたんです。だいたい2時くらいには終わるだろうと聞いていたので、実際にお知らせがきた3時20分までの時間帯については記憶があやふや。麻酔から完全には目覚めていない父に面会し、そばに立つ担当の先生をみたときもたぶん私はしゃべれていません。先生にお礼すら言えないという・・・。心臓を触った後にこんな風に穏やかな表情で家族に接してくれるってどういうことなんだ!という衝撃で全身がカッチカチだったんだと思います。 私が聞いた父の生還第一声は「痛い。」か「優子、今何時?」のどっちかだったと思います。現在時刻ってとりあえず気になる項目なのかもしれませんが、寝るときも腕時計をはめたがる父らしいなと思いました。
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3日前に書き留めておいたものですが。 |
2008,2,17 |
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2月も終わろうかというのに日記の更新は今月これでようやく3回目。にっきーを始め、掲示板へのレスからなにから、何も手をつけてない私の様子を不思議に思い、心配してお手紙をくださった方、どうもご心配をおかけしました。実は父親に心疾患が見つかって早1ヶ月がたとうとしています。見た目は全く普通です。むしろ元気な頃以上にゴーイングマイウェイかも。しかし、説明を聞けば聞くほど事の重大さを理解するほかありませんでした。あれほどおちゃらけていた父がすんなり自覚してくれるほどギリギリの状態で見つかったそうで、このまま放置した場合、間違いなく2年以内に突然死のような重大なイベントを起こす心臓という診断でした。家族全員が面談室で聞いた超怖い話でした。 この1ヶ月はまるで空白のようであり、まるで1秒の無駄もなく過ごしてきたようにもどちらにも感じます。常になにかしているのに、なにもしていないような感じがしていました。これほどまでの頼りない毎日というものは生まれて初めてでした。実家に帰ってばかりいたのは母親を1人にしないためというのが大きな目的ではありましたが、実際に手伝えることなんて本当にほとんどありませんでした。それでも周南の自宅にいる気分になれなかったんだと思います。私はというと、旦那さんのことは受験勉強をしていた時期以上にほったらかし。移動、仕事、移動、病院、移動、実家、睡眠起床を繰り返すのが精一杯。そんな中で、一番健やかな心の状態だったのはもしかしたら仕事中だったのではないかと思います。仕事をしているとそれがたとえ春っぽい服装での雪の中だろうと気分はラクでした。いつもブツブツ文句が多い私とは思えないほど素直にあの大雪の日に屋外でインタビュー。あんまり寒いので合図があるまでダッシュばかりして走り回り暖をとっていたほど元気いっぱいでした。 明日は手術当日です。落ち着くためと、冷静にこの1ヶ月を振り返りたかったのでこの文章を作成だけしました。実家は通信不可能な環境なのでパソコンに入力しているだけ。落ち着いたら過去にさかのぼって更新させてもらおうと思っています。合格おめでとうのメッセージに返信もできず、本当に申し訳ありません!皆さんに喜んでもらえてそれはそれは胸がいっぱいでした。伝えるの遅くなりましたが、改めてお礼を言いたいと思います。書き込みをどうもありがとうございました!
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久々の自宅です。 |
2008,2,12 |
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1月の終わりから、ほとんど自宅に戻っていませんでした。今はできるかぎり実家を手伝っているという状態で、周南の自宅に戻ったとしても何か荷物を詰めたら即出かけるという生活。先週の土曜日は初めて実家から山口を目指しました。大島から見ると遥か彼方に感じた大内御堀(←tysがある地名です)。あぁ、あなたはなんて遠い地なんだ・・・。そういう状況なので旦那さんにもここ2週間で何回かしか会っていませんでした。夫婦の危機は相変わらずの頻度とエスカレート具合ですが、いつもいくところまでいってお互いに心を痛めて疲れては元に戻っております。よくないです。でも、ここまで会わないとさすがに会った時ケンカにはなりません。と言いつつこないだまで大喧嘩してたんですが、とりあえず元気な顔で会えてありがたい、と思えました。 明日は朝、雪になりそうなので今日は夜のうちに周南に戻ってきました。すると、インテリアコーディネーター資格試験の合格通知が届いていました。合格の通知だったので本当に驚きました。何度心を落ち着けてみても合格と印刷されていて、座り込んでそれを眺めていたら声は出ないけど泣けてきました。旦那さんからは「よかったね!」という言葉と愉快そうな表情を、数時間前に「どうだった?」とメールをくれたI.C.仲間からはハートマークと泣き顔マークが入り混じったメールをもらい、ここ2週間の忙しさが一瞬報われたような気がしました。 ここで春から応援し続けて下さった皆様、励まし上手な私の友人やお世話になった先生方、そして切磋琢磨し合えたI.C.仲間のみんな、メチャクチャな生活に弱りながらも最後までつきあってくれた旦那さんに心から愛を込めてお礼を言いたいです。支えや励ましやブレーキや喝を本当にありがとうございました。
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ブースター |
2008,2,4 |
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免許をとって10年になります。以前勤めていた職場で入社2年目にして有給をつかいまくってとらせてもらった大事な運転免許です。この10年、その免許で運転する車でこれまでにもいろいろなトラブルを経験してきましたが、本日のトラブルは定番?タイトルで察しのついた方も多いかもしれませんね。やってしまいました、10年目にして初めて「バッテリーがあがった状態」を。 あのエンジンがかからない情けない音を最初に聞いたのは映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマーティが過去から現在に戻ろうと位置についたあのときだったかなぁと思います。あの音をさらにショボくしたような「スン・・・」という音がしました。いったいどこのライトがつけっぱなしの状態だったのか・・・。 今日も昼過ぎから実家に手伝いに帰っていて、夜10時を過ぎて周南へ戻ろうとしたときの出来事でした。お風呂にも入り終わり、コタツでうとうとしていた父親を申し訳ないと思いながらも起こし、トラックのバッテリーとつないでエンジンをかけてもらいました。使ったことはなかったけど私の車のトランクには赤と黒のどでかいクリップがついた危なそうなコードが入っていて助かりました。 それが「ブースター」という名前だということをこの1件で覚えました。
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