「残高16ドルなファイル係」
透明人間〜翼のない天使〜 少女は、いつしか言葉を失っていた。 人と言葉を交わすことが、少女には許されていなかったのだ。 「言葉を交わす」どころではない。 少女は誰の視界にも入ることなく、独りでひっそりと暮らしていた。 自分がここまでどうやって生きてきたのかもよく解らない。気が付けば、ただ独り誰にも知られることなく生きていたのだった。 少女は行きかう人の群れの中を、ゆっくりと歩いていった。 だれも少女の存在に気付かない。そのことで、少女はよく泣いたが、いまではもう慣れてしまっていた。 行き行く人たちの笑い声は少女には重苦しいメロディーに聴こえていた。 泣きたくなるのをこらえ、うつむいて走りながら少女は思った。 (私の居場所は一体どこなの?私は、一体何のために生まれてきたというの?) ようやく家に帰って窓辺に座った少女は窓に映った自分の顔を見た。 (ひどい顔…) 少女は映し出された自分の顔をなぞった。 何年も泣いてきたせいか、目は潤んで赤くなり、悲しみにだけ満ちた表情のない顔がそこにあった。 (私は、ここで一体何をしているんだろう…?) 少女はゆっくりと空を仰いだ。 いつからだろうか、空を懐かしく思うようになったのは。 悲しいとき、空を見上げると少女の気持ちは幾分落ち着いた。 顔も知らない、母親に抱かれているような、そんな気持ちになった。 少女は立ち上がり、外へ出た。 少しでも、広い空を見るためだった。 「ねぇ…」 少女は振り返った。自分に声がかけられたのだと気付くまで、少し時間がかかった。 「なんでそんなに悲しそうな顔をしているの?」 声の主は少女と同い年くらいの少年だった。 (貴方は誰?) 少女はそう言いたかったが、言葉を失った彼女は何も言えずに立っていた。 「僕はイーストだよ」 (心を…読まれた?) 少女は驚いて目を瞬いた。 「僕についておいで」 人を信じる心さえ、少女は忘れてしまっていた。 警戒心は解けなかったが、少女はなぜか、黙って少年―イーストについていっていた。 少女はまだ気付いていなかった。少年の背中が淡く光っていることに。 (どこに行くのよ…?) 歩き続けて1時間ほど経つ。だが、イーストは足を止めようとしない。 「ここだよ」 つれてこられたのは、小学校の裏山だった。 「君なら、飛べるはずだよ」 イーストは振り向いて言った。 (え?) けげんな顔をする少女に微笑んだイーストは、立ててあった柵を乗り越えた。 (危ない…!!) 少女は目を瞑った。 「大丈夫だよ」 少女は目を見張った。イーストの背中には翼が生えていた。ゆっくり翼をはためかせながらイーストは言った。 「君も飛べるはずだよ」 少女は首を振った。 (出来ないよ) 「出来るさ。君だって、僕と一緒なんだから。さぁ、おいで」 イーストは手を伸ばした。 少女は導かれるようにその手を取った。 少女は気付いていなかったのだ。 自分の背中にも、小さな翼があることを。 少女は少しつま先に力をいれ、そして思い切り大地を蹴った。 ふわりと少女の体が浮いた。 「飛んでる!!私、飛んでるわ!!」 少女は自分の口から漏れた声に驚いた。 「背中にあるものは、人にしか見えないからね」 イーストは言った。 少女は黙ってうなずいた。 「行こうか。君の居場所に」 少女はイーストを見た。イーストは空を指差した。 「さぁ、行こう。天使ナタリー=ソフィア」 初めて聞く自分の名前。 少女は初めて笑顔を浮かべた。 行き違えて、透明人間になってしまった翼に気付かなかった天使は、今、広い空へ飛び立った。 |