「残高16ドルなファイル係」

ハーフ・フィクション・ミュージック・ストーリー」
よみちあゆむシリーズ
第1編 スリーピース
第1章 シライシマコト 18才
第1話 オーディションへ
 
「マコト、早く起きんと間に合えへんのやないの?」
おかんの声がする。雨の日は、空気が暗くて寝坊しがちだ。
今日寝過ごすことはあり得ない。中学生の頃から口にしていた、歌手になる夢が現実になるはずの日だから。
オーディションは東京であるから、大阪から新幹線で約3時間。
目覚めてから声がちゃんと出るまでが2〜3時間と聞いたことがあるから、ちょうどいいかもしれない。
 
今回のオーディションでここまで来れたのはちょっと予想外だった。新幹線の区切られた空間の中で思い返してみる。
テープ審査の歌入れの一週間前、わたしはガクトのコンサートでのどを枯らしてしまった。
そのうち元に戻ると思っていたこの声は何故かそのままで、結局締め切りに追われて、枯れた声のまま歌入れして送ってしまった。
なぜか届いた合格通知を手にした今も、声は枯れたままだ。
少しはこの声にも慣れた。昔のかわいい声はもう忘れよう。
 
降り立った東京は、大阪より少し人が多くて少し無口だ。
オーディションのあるスタジオに行くには調布駅で降りる。
そこには、東京とはとても思えない小ぢんまりした町並みがあった。
ホントにこの辺にスタジオが?半信半疑のまま地図に従って進むと、ちっちゃく看板がかかっていた。
がらんとした駐車場の先のドアを わたしは3秒ためらってから開く。
ドアの先は地下へ降りる階段になっている。
早い順番の人の歌う声は、ここからもう聞こえる。澄んだ声だ。
階段を降りると、熊みたいな人がいる。身なりも相当ラフな感じだ。その人が「プロデューサーのノプです。」と名乗った。
色んな意味で不安になるけど、ここまで来たらとにかくやれるだけやるだけだ。
わたしの番がやって来てレコーディング・ブースに入る。
「ヘッドホンから音と自分の声、聞こえますか?」
「はい。」PVなどで時々見たことのある金魚すくいのようなマイクに答える。
そして、課題曲のイントロが流れてきた・・・
 
{この物語は、実在の団体や個人とは、そこそこ関係ありません}