「残高16ドルなファイル係」

『エッセイ』
第二期黄金時代のパフォーマンス♪




【 プロローグ!】

「あなたの人生においての最初の黄金時代はいつですか?」(黄金時代=良き時代)

とてもシンプルに考えたなら僕にとっての「第一期黄金時代」は小学6年の頃ではな
いかと思う。
学業以外のあらゆる部門で何かとスポットライトに当ることが多く何度もヒーロー的
存在になることができてその記憶は今も輝きを失わないでいるから。

そして「第二期黄金時代は・・・?」と訊ねられたとしたらきっと19歳から21歳
の頃と答えるのではないだろうかと思う。
あの頃の青春の眩しさの日々の中にあって、更にスポットライトの明りに照らし出さ
れている栄光の想い出、『ライブパフォーマンス』というバンド活動の存在が今も僕
の記憶の中でときめきの鼓動を打ち続けているから。





【 スカウト!】

「こいつ楽器できるから・・・」
バンド活動の始まりは同僚Sのこんな言葉からだった。
会社の休憩時間に缶ジュースを飲んでいた僕の目の前に20代後半の男性(いわゆる
会社の先輩)を連れて現れた同僚Sが「こいつ楽器できるから・・・」の言葉をその
先輩に告げたのだった。
話の続きの内容はバンドを結成したいからメンバーにならないかというものだった。
僕は音楽は好きだったし特に断る理由もなかったのでその場であっさりとバンドの話
を承諾した。
僕が19歳の時の事だった。





【 浜省が人生の時!】

20代後半の人物(ここでは以後リーダーと呼ぶ)は以前、浜省(浜田省吾の略)の
コピーバンドを組んでいてライブ活動もしていたという自他共に認める浜省フリーク
であった。
初めて同僚Sと二人してリーダーの家に招かれた時のこと、部屋の壁に見つけた大き
なモノクロの写真には浜省そっくりの髪型で、浜省そっくりのサングラスをかけ、浜
省きどりの皮のジャケットを着てステージで熱唱しているリーダーの姿があった。
その当時のライブ音源も聴かせてもらったがそこにはやはり浜省魂が感じられるもの
だった。
その日リーダーはギターで浜省の曲を奏でながら浜省の魅力について熱く語ってくれ
た。
僕らも浜省の歌の良さは以前から知っていてそれまでにも結構聴いていたのでリー
ダーの熱弁にもうなづくところは沢山あった。
そういうことなので僕らがやる演奏曲はすべて浜省の曲でいくということは揺るぎの
ないところであった。
本当は「ビートルズ」や「佐野元春」たちのミュージシャンの曲が演奏曲の候補とし
て僕の頭の中をちらついていたが、その部屋は他のミュージシャンの名前が出せるよ
うな空気ではなかった。
僕と同僚Sは僕らが演奏できそうな歌を選曲するべく楽譜をめくりながらアバウトに
いくつかピックアップしてみたりするのだった。
まだまだ机上のコピーバンド。担当楽器すら決まっていない時のことだった。





【 必然のポジション!】

さて僕はどんな楽器ができるだろう?
同僚Sは何ができるんだったっけ?
リーダーはボーカルとリードギターを兼任すると言った。さすがリーダー!
続いて同僚Sはハードロックのギターが弾けると言った。更にすごい!!
けれどSのその発言はほぼ本人の思い込みであった。
試しにギターを持たせてみたところその指の動きはとてもギターリストと呼べるもの
ではなかった。
学生時代は剣道をやっていたというS、(それは関係ないが・・・)彼にはとりあえ
ず初めてのベースにトライしてもらうこととなった。
何はともあれ二人の担当楽器が決まって僕に残された楽器は限られていた。カスタ
ネット?トライアングル?・・・まさか!
一人がギター、一人がベースとくれば僕がドラムスを担当することは必然の流れなの
であった。
演奏レベルはともかくとして・・・。





【 回想フィルム!】

ドラムは高校時代に友達の部屋にあったのを遊びで何度か叩いたことがあった。
当時僕らはロックバンドを組んでいて僕はベースギターを担当していた。
学校が終るたびに友達の家に集まっては4〜5曲のレパートリーのロックナンバーを
繰り返し演奏していた。
けれどどういう訳かその活動が学校の先生の耳に入り僕らは即座に呼び出され「大至
急バンドを解散すること!」と宣告されたのだった。
後に僕を個人的に呼び出した先生曰く「バンドはいかん。不良になるぞ!」と。
何故バンドをすることが不良なのか僕にはまったく理解できなかった。
バンドのメンバーはみな昔からの気のいい仲間たちで性格も純粋な者ばかりだった。
確かに身なりはいわゆる不良を絵に描いたようなものではあったが・・・。僕はたま
たまその逆をゆく身なりをしていただけだった。
結局僕らは先生に逆らうことはできず直ちにバンドを解散した。

そのわずか数年後、僕は誰にも束縛されることなく、そして学生時代の純粋な気持ち
のままでバンドのドラマーを務めることとなったのだった。
よくわからないけれど「美しい!」と思った。





【 産声記念日!】

練習場として提供されていた、市が運営する会館で僕らは初めての音合わせを試み
た。
僕はドラムセットを持っていなかったので会館に置かれてあったバンド活動休止中の
人のドラムを使わせてもらった。
スティックを手に持って音を鳴らしてみる。太鼓をポンポン♪シンバルをバンバン♪
なんとも愛しい響き。
僕は高校時代に仲間から教わったビートを幾つか試してみた。ドンドンチャ!ドンド
ンチャ!4ビート♪8ビート♪16ビート♪ぎこちないながらもしっかりと体が覚え
ていた。
本当は高校時代からベースよりもドラムに憧れを持っていた僕なのだった。
叩く毎に軽快さが増していっていた僕のドラム。そのリズムを乱すかのようになにや
ら低音のノイズが割り込んでくる。「ボンボボン♭〜ボンボボン♯〜♪」同僚Sが奏
でていたベース音だった。
このノイズ音をメロディーに変えてゆかなくてはバンドとして話にならない。
リーダーは自分の練習を中断しては手取り足取り根気よく、時に熱くなりながらSに
ベースラインを教え込んでゆくのだった。
その光景は大げさでなくドレミのドからのスタートと言えるものであった。

必死にベースと格闘していた彼。僕はそんな彼のどこか一つでも誉めてやれないもの
かとあれこれ探してみるのだけれど、どうも適当な言葉が浮かばないのだった。
「まあ気長に頑張ろう!」僕はそう心でつぶやく他になかった。

マイペースなドラマーの僕と産まれ立てのベースマンの彼と・・・果たしてこのメン
バーで本当にバンドとして成立するのだろうか?と不安でいっぱいだったあの頃。
けれどそんな同僚Sが後に誰もが認める名ベーシストになろうとはその時にはとうて
い予測のできない話なのであった。





【 She is a OK!】

そのような練習の日々が続いたある日、リーダーが一人の女性を連れてきた。僕らの
バンドにはなくてはならない存在、待望のキーボードプレーヤーの登場であった。
第一印象はちょっと気の強そうな雰囲気と薫りをかもし出していて近寄りがたいよう
に思えたが会話をしてみるととても穏やかで笑顔の絶えない心優しいお姉さんだっ
た。
ライブの時にわかったのだけれどそのお姉さんはかなりの人気の持ち主で、ファンク
ラブでもあるんじゃないかっていうくらいの声援があちらこちらから投げ掛けられて
きて僕はビックリしたのを覚えている。

最低限のメンバーも揃い演奏もそれらしくなってきた頃どこからかクリスマスパー
ティーでのライブ演奏の話が持ち上がってきた。
それにともないバンド名も決めなくてはならなくなり、四人で散々考えて考えて考え
たあげく「スーパーパニック」と命名された。(きっとこのバンド名は仮の名前でそ
のうち正式なものに変更されるのだろうと思っていたが結局バンド解散まで変更され
ることはなかったのであった)
そんなこんなでますます張りきって練習に励む僕たちなのであった。





【 レディース&ジェントルマン!】

そして遂にやってきたクリスマスパーティーでのライブ演奏。
ベーシストの顔を見ると「なんとかいけるぞ!」という表情をしていてメンバー一同
胸をなでおろす。
僕は僕で日頃から完璧を求めないタイプの人間なので「実力の六割か七割くらいが出
せればいいや・・・」という気ままな心境でいた。
体育館を利用したパーティー会場は青年部主催ということもあってかほぼ若い人たち
の集まりだった。
少なくみても男女半々の合わせて50人くらいはいただろうか?
初ライブの僕らにしてみれば十分な人数だった。





【 スーパーハプニング序章!】

パーティー開催の前に予行演習ということで出演するもう一組の常連バンドが軽く
2〜3曲演奏をした。
僕らも当然同じように行うのだろうと準備を始めようとするとリーダーがやって来て
「俺たちはしないぞ!恥を二度もかくことはないから・・・」と。
なるほど!と僕はその意見にえらく感心してしまった。さすがリーダー、よくわかっ
ていらっしゃる!
考えてみれば演習をしない方がきっと本番の時の新鮮さも大きいだろうし間違いなく
それが正解なのだろうと信じて疑わなかった。
けれどそれがあんなハプニングを生もうとは・・・。




つづく!