「残高16ドルなファイル係」
「パッチワークの丘物語」
【1】
カーテンからこぼれる
夏の日差しで目覚めた朝に 両手に荷物を抱え アスファルトの路を歩いて行く優子の後姿を窓の外に見つけた いったいどこへ散歩に行くのだろうと 僕は小さくなる背中をぼんやりと眺めていた 眠たげな目をこすってもう一度 あらためて窓の外に目をやると 優子はどこか旅人の姿をしているように見えた 一時停止のバスが
蒼い煙を残して走り去って行ったかと思うと いつか優子の姿を見失ってしまった 【2】
パッチワークの丘物語・・・
【3】
僕らが初めて出会ったのはちょうど去年の今頃
北の大地のポプラの木の下 夏の暑さや都会の人ごみから逃れたかったのかどうか 気がつけば広大で鮮烈な畑風景 パッチワークの丘の芸術に魅せられていた 春蒔き小麦の緑色の稲穂 秋蒔き小麦の黄金色(こがねいろ) じゃがいも畑の白い花・・・ ゆるやかな丘をいくつか越えると
ケンとメリーという名のポプラの木があって そこは誰もが認めるとびっきりのスケッチスポットだった ご機嫌な気持ちで描き続けていたスケッチ けれども突然の夕立に 仕方なくたたんで持ち帰ったあの日のスケッチブック 【4】
その日の一日前でも一日後でも
その日の景色には出会えない 明日には黄金色の麦は
刈り取られると聞かされて 昨日だったらじゃがいもの花は もっと美しく咲いていたと教えられて だから
一期一会の風景の一つ一つを 大切に大切にスケッチしておきたいと思うのだった 【5】
セブンスターという名の柏の木にもたれて
いっぷくついた記憶 アルバムの写真が覚えている ケンとメリーという名のポプラの木を抱きしめて
スカイラインを見上げた記憶 アルバムの写真が覚えている 【6】
長い長い歳月を
雨に耐え 風に耐え 開拓者たちやパッチワークたちの成長を見守ってきたポプラの木 あのポプラたちはこれからも どんな事にもきっと負けやしないだろう 【7】
営みが創り出した
パッチワークの芸術 束の間の素顔を見せる
朝霧の中の丘 真冬からでも恋しくさせる
初夏の陰影 風と入道雲と
目覚めたばかりの芽たちと 甘い土の匂い
じゃがいもの薫り 【8】
ポプラでの出会いからちょうど一年というこの時に
何故に優子は突然に去ってしまったか 何処へ優子は行ってしまったのか すでにこの物語は終わってしまっているのか あの日の記憶を手繰り寄せた先に
何かしらの答えを期待するのだけれど その先にはただ パッチワークとポプラの木の風景があるだけ 答えは風の中?
風の中の答え 【9】
「春は束の間」の文字を日記帳に
書き記す 取り消す を繰り返す 「知る人ぞ知る」という恋心 あの春はもう一度 来る 来ない 来る 来ない・・・を 花びらの占いに託してみたりもする 【10】
自転車のスピードで見るような風景が
幸福な風景だと信じ続けている ふたりひとつの自転車なら
きっとすべてを分かち合えると確信していたいつかの未来地図 【11】
夏のアスファルトに降り注ぐ夕立に
求めようとしている答えのすべてをあきらめようとした時に 部屋の片隅に偶然見つけたあの日の描きかけのスケッチ 一緒にいるはずの絵の具の姿はなくて スケッチは間違いなく旅の忘れ物の表情をしていた 優子の
居場所 気持ち 思い 考え・・・ 消えた絵の具がそれらのすべてを語っていた 霧の晴れた心で見るパッチワークの丘風景
答えは日常の何気ないところに転がっているものなのだと教えられる 【12】 そして再び訪れた北の大地
あの日スケッチブックをたたんだ時の 一時間前でも一時間後でもない景色の中で まるで待ち合わせでもしていたかのように 絵の具を持って手を振る優子の姿 僕は過去と現在を結ぶスケッチブックを抱えて なだらかな坂道を自転車で辿り着こうとしている 思いは今 時間の糸でつなぎ合わされるのだ パッチワークの丘にゆるぎない気持ちでそびえ立つ ケンとメリーのポプラの木の下で・・・ |